赤馬節 - 大意

 1698年(今から315年前)八重山宮良村で、大城師番と言う役人の馬が名馬・赤馬として八重山中に広がり評判が高く、沖縄まで響き、遂に首里王庁から、名馬を献上せよと、蔵元の在番を経て令達書が届いた。宮良部落では、村民総出して赤馬を見送り涙を流し別れを惜しんだ。

 首里に到着した名馬・赤馬は暴れ出し、国王は激怒され、馬役と馬主は打ち首の刑に処す、と厳命され首里上りを命じた。馬主の師番は打ち首の刑を覚悟し妻子と水盃の別れをかわし、王庁に上り国王に謁見をした後、直ちに乗馬を厳達され、馬小屋に行くと愛馬の赤馬は雁字搦めに縛られていた。師番は涙しながら縄を解いて立たせ、二人の打ち首を救ってくれとささやいて、乗馬すると霊妙な足取りで首里城の庭、狭しとばかりに、きざみ足で歩き始めたのである。見守っていた国王始め高官連は首里城が揺れんばかりの拍手を送って激賞・讃嘆され、二人の打ち首を免じて、この赤馬は主と不離一体の名馬で神から授かった神馬で何者もこれを私する事は出来ないと、赤馬は主に返された。その時の喜びを即興で詠った歌だと、言い伝えられている。

 

※歌意

いらさにしゃ・今日ぬ日  どぅくぃさにしゃ・黄金日

(ああ喜ばしく目出度い今日の日、あまりにも嬉しくて何にも例えようがない黄金の日)

 

我ん産でぃる・今日だら  羽むいる・たきだら

(私は生れ変った位嬉しい今日の日を、羽が生えて空高く飛び立つ位嬉しくてたまらない)

 

 

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